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2013年9月22日日曜日

「脱原発デモ」の参加者は只今“泳がされている状態”にあるものと思われる

578 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)
投稿日:2013/09/19(木) 08:02:52.81 ID:8b55KL4K0
「原発ホワイトアウト」という小説が、あまりにリアルなため、官僚が書いたのではないかと、霞ヶ関の中で犯人探しが始まっていると河野太郎がブログに書いている。



731 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)
投稿日:2013/09/22(日) 07:42:21.32 ID:t3PSFa0n0
「原発ホワイトアウト」若杉 冽著
電力会社の余剰人員は、ネット工作もやっていた。
山本太郎さんや新潟県知事を連想させる人物も登場するからこの本は読んでおくべきです。



733 名前:地震雷火事名無し(東京都)
投稿日:2013/09/22(日) 11:55:44.58 ID:Cb7GOqLb0

原発ホワイトアウト読んだ。

山本太郎が官邸前デモ隊約80人とともに逮捕される(国会会期中だが現行犯なら逮捕可能)。
同時に、経産省前脱原発テントも強制撤去、更地へ。
泉田知事が佐藤栄佐久氏とまったく同じ手口で逮捕勾留される。
そして、柏崎刈羽を含む15基の原発が年内に再稼動される。
ラストは柏崎刈羽原発が中国人のテロリストによってメルトダウンに追い込まれる。

とまあ相当ハチャメチャなストーリーだが柏崎刈羽の事故後の具体的シミュレーションは面白い。
それより電力会社がいかに現実の政治や行政を歪めているのか具体的にわかる。
東京電力はどうやっても破産に追い込むわけにはいかないだろう。
原子力ムラの黒幕は資源エネルギー庁の次長と電事連の常務と自民党幹事長のようだ。



2 名前:地震雷火事名無し(北海道)
投稿日:2013/09/22(日) 20:04:43.38 ID:gftW6lDP0
「デモ崩し」という章があるそうだが、具体的にはどうやってデモを壊滅させるの?
それと官邸前で山本太郎が現行犯逮捕されるそうだが、いつも官邸前に来ている共産党議員たちが逮捕されないのは解せない。


3 名前:地震雷火事名無し(関東・甲信越)
投稿日:2013/09/22(日) 20:10:17.43 ID:hPyXminLO
だからタロちゃんは官邸前デモに出て来なくなったんだな。


4 名前:地震雷火事名無し(禿)
投稿日:2013/09/22(日) 20:20:54.72 ID:qmmtq/WY0
デモの主要メンバーを撮影、尾行して素性を把握して近所の人に「この人は官邸前デモに参加してる」と言いふらす嫌がらせ。
海外の要人が総理官邸を訪問するときに官邸前デモの条件を厳しくして少しでも逸脱したら即逮捕。
こんな具合。




《東京新聞7月14日・こちら特報部》

http://www.magazine9.jp/osanpo/130717/

「原発廃炉に賛成?反対?」。安倍晋三首相の街頭演説で、女性(40)がこんな質問ボードを掲げようとして、没収された。掲げる前に、自民党スタッフや警察官を名乗る男性4人に取り上げられた。(略)

「事件」が起きたのは、参院選公示日の四日。女性は、JR福島駅前で行われた安倍首相の第一声を聞きに行った。持っていたボードはA3判サイズ。「総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?」と印字した紙を段ボールに貼り付けた。

(略)

ボードは一週間後の十一日、教えていないはずの女性の勤務先宛に、郵送で返却された。




《おまけ》

☆飯塚盈延

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%A1%9A%E7%9B%88%E5%BB%B6

飯塚 盈延(いいづか みつのぶ、1902年10月4日 - 1965年9月4日)は、日本共産党党員で特別高等警察のスパイ。「スパイM」とも呼ばれる。変名は松村昇、峰原暁助。愛媛県出身。

1902年に愛媛県に生まれ、1909年尋常小学校に入学。成績が良く天才と呼ばれた。米騒動などをきっかけに日本共産党最初の労働者党員になり、渡辺政之輔が率いていた東京合同組合に身を投じることで労働運動にかかわっていった。その後、若手の労働運動活動家として日本共産党(第二次)の派遣により、モスクワの東方勤労者共産大学(クートヴェ)に留学した(留学中の変名は「フョードロフ」)。しかし留学中共産党に幻滅し、帰国後に検挙され転向したうえで警察のスパイになったとされる。

そして松村(飯塚)はスパイとして党に潜入、非常時共産党時代の共産党で家屋資金局の責任者となり、「赤色ギャング」に代表されるさまざまな権力挑発的方針を指示した。その後熱海事件で共産党の代表者達を一斉検挙に追いやった。

松村がスパイであることは、同じクートヴェ帰りであった風間丈吉委員長を始めとする党の幹部から全く感づかれることはなく、一般党員も彼の過激な活動方針にほとんど疑いを抱くことなく従っていた。しかし熱海事件前後の一斉検挙後、取り調べや公判などで松村の名が出てこないことに不審をもった党員たちは、彼が警察のスパイではないかと考えるようになった。

その後の足取りは、満州でしばらく兄と建築業を行っていたが、078回国会懲罰委員会第3号(昭和五十一年十月二十八日)会議録の記録にある紺野与次郎議員の発言によると、「特高首脳部は、スパイ飯塚盈延に大金を与えて姿をくらませ、その後、飯塚は終生、社会からの逃亡者としての生活を行い、待合に隠れ、北海道と満州を往復し、終戦後偽名で帰国して以来本籍を隠し、偽名を使い続け、元特高らに消されることを恐れ、一室に閉じこもり、昭和四十年酒におぼれて逃亡者としての悲惨な生涯を終えています。しかし、生地の本籍上の飯塚盈延はいまでも生きていることになっています」となっている。

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