(雨宮処凛氏)
http://magazine9.jp/karin/130731/
7月26日、「私たちが生み出した国会議員」である山本太郎さんを、思い切り引き回させて頂いた。
当選直後の、もっとも多忙とも言える時期である。しかし、「この日、とにかく私が行く場所に一緒に来てくれれば貧困についてのあらゆる問題が網羅できる!」と熱烈アピールしたところ、「ぜひ勉強したい!」という返事。打てば響く国会議員もいたものである。
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★劉邦=漢の高祖は無学であったが、外交・民政・政情分析・軍事・財政などさまざまな分野の専門家を雇い、その専門家たちの意見に耳を傾けることによって天下を取ることができた。
☆劉邦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E9%82%A6
劉邦が家臣たちと酒宴を行っていた時、劉邦は「わしが天下を取って、項羽が天下を失った理由を言ってみなさい」と言った。これに答えて高起と王陵が「陛下は傲慢で人を侮ります。これに対して項羽は仁慈で人を慈しみます。しかし陛下は功績があったものには惜しみなく領地を与え、天下の人々と利益を分かち合います。これに対して項羽は賢者を妬み、功績のある者に恩賞を与えようとしませんでした。これが天下を失った理由と存じます」と答えた。
劉邦は「貴公らは一を知って二を知らない。策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することではわしは張良に及ばない。民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることではわしは蕭何に及ばない。軍を率いて戦いに勝つことではわしは韓信に及ばない。わしはこの三人の英傑を見事に使いこなした。しかし項羽は范増一人すら使いこなせなかった。これがわしが天下を取った理由だ」と答え、その答えに群臣は敬服した。
☆張良
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF
張良は自らの将としての不足を自覚しており、それまでも何度か大将たちに出会っては自らの兵法を説き、自分を用いるように希望していたが、聞く耳を持つ者はいなかった。しかし劉邦は張良の言うことを素直に聞き容れ、その策を常に採用し、実戦で使ってみた。これに張良は「沛公(劉邦)はまことに天授の英傑だ」と思わず感動したという。
☆食客
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E5%AE%A2
食客(しょっかく、しょっきゃく)は中国の戦国時代に広まった風習で、貴族たちが才能のある人物を客として遇して養う代わりに、主人を助けるというもの。門客(もんかく)とも言う。