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2013年7月19日金曜日

〔日本〕仮に日本共産党が政権に参加しても「軍事クーデター」で転覆できるメカニズムを構築へ

☆自衛隊運用、制服組に移管 来年度にも、文官部局は廃止
(朝日新聞)

http://www.asahi.com/politics/update/0718/TKY201307171014.html

http://www.peeep.us/b78f186d

日本では先の戦争への反省から、戦後は文民の首相や防衛相が自衛隊を指揮する文民統制を敷いた。さらに背広組が、軍事中心の制服組とは違う立場から自衛隊を管理し、首相や防衛相を支えることで、文民統制をより強く働かせている。

(略)

運用企画局は機能が統合幕僚監部に移管される形で廃止され、自衛隊の運用はすべて制服組の管轄となり、背広組の役割は大きく後退する。

                 ↓

http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/416.html
投稿者 tk 日時 2013 年 7 月 19 日 01:10


選挙で反米政権が出来る可能性を予測しているのかな?

もしも、反米政権ができたら、エジプト軍のように「クーデターみたいなもの」で政権を打倒しちゃおう。制服組だけなら米軍と直結しているから自由自在に操れる。制服組より日本の政治家との繋がりが強い文官の監視があると具合が悪いからね。


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☆エンリコ・ベルリンゲル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB

エンリコ・ベルリングエル(Enrico Berlinguer、1922年5月25日 - 1984年6月11日)は、イタリアの政治家。イタリア共産党(Partito Comunista Italiano/PCI)書記長(第5代)を歴任。「ベルリンゲル」と表記されることもある。

(略)

1973年10月には、当時のイタリアの与党であり、共産主義がその存在を否定するキリスト教を教条とするキリスト教民主主義との協力路線を打ち出し、「歴史的妥協政策」による連立政権の樹立を図る事となる。しかし、冷戦下のイタリアにおいてカトリック教会から労働組合、さらに「容共政権」の成立を嫌ったアメリカの意を受けた右派に至るまで様々な勢力による思惑、利権が入り混じったことから結局成功しなかった。


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《日本で万一クーデターが発生するとしたら、それはホンジュラス式の“親米クーデターであろうと思われる》


☆ホンジュラス大統領を軍が拘束、側近情報
(2009年6月28日のAFP通信)

http://www.afpbb.com/article/politics/2615842/4314827

改憲の是非を問う国民投票を控えていた中米ホンジュラスで、ホセ・マヌエル・セラヤ(Jose Manuel Zelaya)大統領が28日、首都テグシガルパ(Tegucigalpa)の官邸を包囲した同国軍に拘束されたと大統領側近の1人が報道陣に明らかにした。

大統領秘書官のエンリケ・レイナ(Enrique Reina)氏によると、セラヤ大統領は空軍機で官邸から連れ去られた。

ホンジュラスの大統領は、再選禁止の任期4年と憲法で規定されている。しかし、2006年に就任した同大統領は次期大統領選への自分の再出馬を可能にするよう画策。そのための改憲案を問う国民投票を28日に実施しようとしていた。一方で、この国民投票について最高裁は違憲と判断し、軍部も反対していた。




☆ホンジュラスで大統領追放、再選可能にする改憲めぐり軍・裁判所と対立 (2009年6月29日のAFP通信)

http://www.afpbb.com/article/politics/2615865/4316380

改憲の是非を問う国民投票を控えていた中米ホンジュラスで、ホセ・マヌエル・セラヤ(Jose Manuel Zelaya)大統領が28日早朝、首都テグシガルパ(Tegucigalpa)の官邸を包囲した同国軍に拘束され、軍の航空機でコスタリカのサンホセ(San Jose)に追放された。

サンホセ郊外の国際空港で記者会見したセラヤ大統領は、自分はまだホンジュラスの大統領だと主張し、これは政治的陰謀による誘拐だと非難した。しかし、その数時間後、ホンジュラスの議会は議長を暫定大統領に指名した。

(略)

セラヤ氏は大統領に当選した当時は保守的だったが、その後左傾化し、最近ではベネズエラのウゴ・チャベス(Hugo Chavez)大統領などと同じく、大統領権限強化と再選制限撤廃のため憲法改正を目指していた。




☆「トラスト・ミー」はだめ?=日米同盟に陸自幹部が発言
(昨年2月10日の時事通信)

http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/244.html

陸上自衛隊幹部が10日、宮城県の陸自王城寺原演習場で始まった米陸軍との共同訓練開始式で訓示し、日米同盟に関して「『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と発言した。

(略)

発言した幹部は、陸自第6師団第44普通科連隊(福島市)の中沢剛連隊長(47)=1等陸佐=。「同盟というものは外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と訓示した。




☆陸自幹部発言 「信頼してくれ」では日米同盟維持されぬ
(昨年2月11日の毎日新聞)

http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/245.html

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡り、鳩山由紀夫首相が昨年11月、オバマ米大統領に「トラスト・ミー」(私を信じてほしい)と伝えていた。こうした中での陸自幹部の発言は波紋を広げる恐れもある。


         ↓

岩上安身(フリーランスのジャーナリスト)
http://twitter.com/iwakamiyasumi/statuses/9052866385
この連隊長の発言を、軽く見てはならない。彼個人ではなく、同様の思想・感覚を持つものは多数いると思われる。


岩上安身(フリーランスのジャーナリスト)
http://twitter.com/iwakamiyasumi/statuses/9052915373
この連隊長がはしなくも吐露してしまったものは、自分達が忠誠を誓っているのは、民主主義国家としての日本国政府ではなく、日米同盟である、ということ。


岩上安身(フリーランスのジャーナリスト)
http://twitter.com/iwakamiyasumi/statuses/9053204059
軍とは、いつの時代、いかなる国でも、クーデターを起こしうる実力組織である。その潜在可能性については常に細心の注意が必要。この連隊長の言葉から伺いうるのは、もしこの国でクーデターがありうるとしたら、「同盟」のパートナーである米軍に忠誠を誓うものとなるかもしれない、ということ。


外務太郎(予備自衛官)
http://twitter.com/MOFA_TOKYO/status/9056529656
私も予備自として各地で訓練をしていますが、そのことについて現場の自衛官が不快感等をもっているようには思えませんでした。自分たちの活動を理解をしてくれない国民よりも、現場で共に汗をながす米軍の方が信頼できるんじゃないでしょうか。



☆ホンジュラス・クーデターを支援したワシントン:これが証拠
(2009年7月20日の「マスコミに載らない海外記事」)

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-3b50.html

アメリカ国務省はクーデターを事前に知っていた。

国務省とアメリカ議会は、クーデターに参加したホンジュラス国内の関係者達と組織に、資金援助と助言を与えた。

ペンタゴンに訓練され、教育され、指揮され、資金援助され、装備を与えられたホンジュラス軍が、クーデターをやらかし、ホンジュラス国民を、武力によって、抑圧し続けている。

ソトカノ(パルメローラ)軍事基地を占拠して、ホンジュラスに駐留するアメリカ軍は、暗黙の共謀と、クーデターに関与していたホンジュラス軍への支持撤回を拒否することによって、クーデターの正当性を認めた。

テグシガルパ駐在アメリカ大使、ヒューゴ・ローレンスは、トーマス・シャノン国務次官や、現在、ヒラリー・クリントン国務長官の顧問として働いているジョン・ネグロポンテらと一緒に、マヌエル・セラヤ大統領の追放を、とりまとめたのだ。

クーデター発生の初日から、ワシントンは、関与した人々を“両者”とよび、“対話”憲法秩序を回復させる必要を言い、彼等を、人権と民主的原理の犯罪的な違反者ではなく、対等な参加者と見なして、クーデター指導者達を正当化した。

国務省は、ホンジュラスでの出来事を、法律的に“クーデター”として扱うことを拒否し、ホンジュラスに対する経済援助や通商を、停止または凍結することもしておらず、現在の政権に効果的に圧力をかける手段を全く講じていない。

単純に、現在の政権を、合法化し、依然としてクーデターに抵抗しているホンジュラス国民を疲労させることを狙う、今でも実施されている戦略の一部として、ワシントンは、米州機構(OAS)をあやつって、時間稼ぎをして、クーデター政権に勢力を固められにようにする一方で、セラヤ大統領が即時権力復帰する可能性を弱めている。

クリントン国務長官と、その広報担当官達は、コスタリカ大統領オスカル・アリアスを、クーデター政権と憲法上の政府との間の“調停者”として指名した後、セラヤ大統領の復帰について語るのをやめた。

そして、今や国務省は、クーデターの際に違法に権力を奪取した独裁者ロベルト・ミチェレッティを、“暫定管理大統領”と呼んでいる。

クーデター政権と“交渉”するという戦略は、クーデターをひき起こしたとして、非難することで、セラヤ大統領の信用を傷つけ、クーデター指導者を合法化する方策として、オバマ政権によって課されたのだ。

アメリカ議会の議員達が、民主党も共和党も、ホンジュラスのクーデター政権の代表によるワシントン訪問をとりまとめ、アメリカ首都の様々な舞台で、彼等を栄誉をもって受け入れている。

元々、自分の事務所とコネがあるロビー会社、コーマック・グループ経由で、クーデター政権の代表のワシントン訪問をとりまとめたのは共和党上院議員ジョン・マケインであったという事実にもかかわらず、今や、非合法な政権は、一流のロビイストで、党派を超えて、ホンジュラスのクーデター政権の全般的承認を実現するために、ワシントンにおける自分のコネと影響力を、行使しているクリントンの弁護士ラニー・デイビスを代表にしている。

オットー・ライヒと、ベネズエラにおける2002年4月のクーデター時に、独裁者ペドロ・カルモナの弁護士をしたことで有名なロベルト・カルモナ―ボルハスという名のベネズエラ人が、ホンジュラスにおける、対セラヤ大統領クーデターの基礎作りを手伝った。

ホンジュラスのクーデターを計画し、手助けするよう、ワシントンから選定されたチームには、最近、中米に派遣されたアメリカ大使の集団で、キューバ革命に対する不安定化工作の専門家達や、USAIDのキューバ“デモクラシーへの移行”プログラムの元局長アドルフォ・フランコらが含まれていた。


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《クーデター後のホンジュラスと日本の不気味な相似点》


☆ホンジュラス・クーデター 一周年
(マスコミに載らない海外記事。2010年6月29日)

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-551a.html

昨年エクアドルのマンタ空軍基地を追い出されて以来、ホンジュラスのパルメロラ基地の利用が拒否されるであろうという見込みは、ペンタゴンにとって、戦略的に受け入れられないものだった。

(略)

ロボ政府は、2月に破産を宣言し、逆累進税の引き上げと、政府支出の20パーセント一括引き下げを含む、一連の過酷な緊縮政策に取りかかった。まったくこうした削減に会わないのが、ホンジュラス軍で、予算は増加した。

(略)

既に西半球でも最も貧しかった、ホンジュラス労働者の生活条件は、悪化するばかりだ。

(略)
失業は、雇用主と政府が賃金引き下げを迫り、労働法の大規模な廃止を促進するための、労働者階級に対する破壊用の槌として利用されている。




《自民党は「解雇規制の緩和」を公約している》

☆マニフェストにようやく登場した「解雇規制の緩和」
(J-CAST会社ウォッチ。2010年6月23日)

http://www.j-cast.com/kaisha/2010/06/23069426.html

それと、もう一つ重要な変化があった。自民党が
「解雇規制の緩和」
と明記したことだ。このことは、少なくとも自民党という前与党がマニフェストに取り入れるほど、労働市場の流動化論が力を得ているという事実を示している。

ただ少し残念なのは、なんだか後ろの方に、こそっと混ぜているように見えること。もっと堂々と前に出していくといい。

「労働者の生活を守れ!」といって包囲網作ってバッシングされるのを警戒しているのかもしれないが、心配はいらない。他にも流動化を支持する味方はいる。

まず、みんなの党が代表だ。マニフェストこそ
「正規雇用と非正規雇用の流動化」
と、ぼかした表現を用いているが、以前から労働市場の流動化にはたびたび言及している。良き理解者になってくれるだろう。


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《映画「皇帝のいない8月」》

フジヤマ・ガイチ
http://twitter.com/gaitifujiyama/status/9048076807
この間山本薩夫の「皇帝のいない8月」を見ていたら、高橋悦史扮する内調の局長が東京地検特捜部に大物政治家をパクレと命じる場面があった。昔見たときは「そんな事あるかよ」と思っていたが、最近は「そういう事もあるだろうな」と考えが変わったw



☆ウィキペディア「皇帝のいない八月」の項→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B8%9D%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E5%85%AB%E6%9C%88

新風社文庫版のあとがきによれば、自衛隊のクーデター計画があったと聞かされたことが執筆の原因であると作者は述べている。

(略)

保革伯仲し与党内でも分裂が危ぶまれる政局不安定な198X年(予告編による)の暑い夏、アメリカに媚を売り、腐敗しきっている自民党の現政権に対して、自衛隊と結んだ右派系の元首相一派が自衛隊の最高幹部とともにクーデターを計画する。目的は自衛隊を国防軍に再編成すること。そのために軍事力で政府を制圧し、内閣総理大臣を拘束、憲法改正を断行する。ここにCIAが戦略・情報・人脈を使って介入してくる。

だが、そこで登場したのが内閣情報調査室室長。彼がすべての情報を探索し、官邸から自衛隊の統帥を指揮し、クーデターを制圧せんとする。だが、実はとんでもない大どんでん返しが待っていた…。


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☆チリ・クーデター

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC

チリ・クーデター(西: Golpe de Estado Chileno)とは、1973年9月11日に、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで発生したクーデターである。世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権を、軍部が武力で覆した事件として有名である。


東西冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデ博士を指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデは大統領に就任した。なおこれは、南アメリカにおいて自由選挙で社会主義政党が選ばれた初めての例であった。

しかし、アジェンデ政権の行う社会主義的な政策に富裕層や軍部、さらにドミノ理論による南アメリカの左傾化を警戒するアメリカ合衆国は反発し、アメリカ政府に支援された反政府勢力による暗殺事件などが頻発した。そして、遂には1973年にアウグスト・ピノチェト将軍らの軍部が軍事クーデターを起こした。

首都のサンティアゴは瞬く間に制圧され、僅かな兵と共にモネダ宮殿に篭城したアジェンデは最後のラジオ演説を行った後、銃撃の末に自殺した。

(略)

このクーデター以降、軍事政府評議会による軍事政権の独裁政治が始まり、労働組合員や学生、芸術家など左翼と見られた人物の多くが監禁、拷問、殺害された。軍事政権は自国を「社会主義政権から脱した唯一の国」と自賛したが、冷戦の終結によりアメリカにとっても利用価値がなくなった軍事政権は1989年の国民投票により崩壊した。

(略)

政権交代後しばらくは経済も好調であった。そのため、1971年4月の統一地方選挙ではアジェンデ与党人民連合の得票率は50%を超え、大統領当選時より大幅に支持を伸ばした。しかし、アメリカの支援を受けた反共主義を掲げる極右組織が次々に誕生し、CIAが右翼勢力に対する公然非公然の支援を行い政権打倒の動きを強めるなど次第に政情が不安定化する。

また、政権交代後にアジェンデが進めた性急な国有化政策や社会保障の拡大などの社会主義的な経済改革は、自由経済であるもののその規模が大きいわけではない当時のチリ経済の現状にそぐわないものであり、結果的にインフレと物不足を引き起こした。さらにアメリカのリチャード・ニクソン政権が経済制裁を行い、その中でも、当時のチリ経済が銅の輸出に大きく依存していたため、アメリカが保有していた銅の備蓄を放出してその国際価格を低下させたことがチリ経済に大きな打撃を与えたと言われる。これらの結果、政権末期にはチリ経済は極度の混乱状態に陥った。

しかし、それにもかかわらず、アジェンデ政権に対する国民の支持はさほど低下していなかった。1973年3月の総選挙では、人民連合は43%の得票でさきの統一地方選よりは減ったが、依然として大統領選を上回る得票で議席を増加させた。


しかし、大統領選の決選投票ではアジェンデ支持に回ったキリスト教民主党が、アメリカのヘンリー・キッシンジャー国務長官の意向を受けたCIAの働きかけで反アジェンデに転回したため、アジェンデ政権は窮地に追い込まれていく。


これらの工作によるアジェンデの排除が不可能と考えた反アジェンデ勢力は、武力による国家転覆を狙うようになった。1973年6月には軍と反共勢力が首都サンティアゴの大統領官邸を襲撃するが失敗した。

8月、シュナイダー将軍の後任で、やはり「軍は政治的中立を守るべし」という信念の持ち主であったカルロス・プラッツ陸軍総司令官(その後国防相も兼任していた)が軍内部の反アジェンデ派に抗し切れなくなり辞任に追い込まれたことで、軍部のクーデターの動きに対する内堀が埋められた状態となる。

プラッツの後任の陸軍総司令官がアウグスト・ピノチェトであった。



1973年9月11日、ピノチェト将軍はCIAの全面的な支援の下、軍事クーデターを起こした。元々反アジェンデ派が優勢な軍部はほとんどがピノチェトに同調したために政府側は有効な対応をとることができず、それゆえクーデターに対する抵抗は労働者・学生らによる自発的で悲惨なものにならざるを得なかった。

アジェンデ大統領の周囲には大統領警備隊などごくわずかの味方しかいなかったが、それでも彼は辞任やモネダ宮殿からの退去を拒否し、ホーカー ハンター戦闘機と機甲部隊の激しい砲爆撃のなかで炎上するモネダ宮殿内で、自ら自動小銃を握って反乱軍と交戦中に命を落とした。

(略)

クーデター後ただちに、陸軍のアウグスト・ピノチェト、海軍のホセ・トリビオ・メリーノ(José Toribio Merino)、空軍のグスタボ・リー(Gustavo Leigh)、国家憲兵隊のセサル・メンドサ=ドゥラン(César Mendoza Durán)を構成員とする軍政評議会が発足した。

政権を握った軍部はすさまじい「左翼狩り」を行い、労働組合員を始めとして多くの市民が虐殺され、その中には人気のあったフォルクローレの歌い手ビクトル・ハラもいた。ハラが殺されたサッカースタジアムには、他にも多くの左翼系市民が拘留され、そこで射殺されなかったものは投獄、あるいは非公然に強制収容所に送られた。

前年にノーベル文学賞を受賞した詩人パブロ・ネルーダ(チリ共産党員であった)はガンで病床にあったが、9月24日に病状が悪化して病院に向かったところ、途中の検問で救急車から引きずり出されて取り調べを受けて危篤状態に陥り、そのまま病院到着直後に亡くなった。

日本では当時の政権与党である自民党の他、民社党などが反共産主義を理由にクーデターを支持した。とりわけ民社党は塚本三郎を団長とする調査団を派遣し、1973年12月18日、ピノチェトは大内啓伍の取材に応じた。塚本は帰国後、クーデターを「天の声」と賛美した。

(略)

クーデター後のチリ

またアジェンデ政権末期には軍部と連携してアジェンデ打倒に動いていたキリスト教民主党もクーデター後には非合法化され、75年10月には、キリスト教民主党の前大統領エドゥアルド・フレイ・モンタルバの下で副大統領を務めていたベルナルド・レイトンが、妻と共に亡命先のイタリアで襲撃され重傷を負った。




☆大内啓伍

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E5%95%93%E4%BC%8D

反共主義を信奉しており、1973年のチリ・クーデターを支持した。

『朝のこない夜はない : 保革伯仲から連合時代へ』によれば、大内はピノチェトの倒した左翼のサルバドール・アジェンデ政権が、選挙で保守・中道共倒れによる漁夫の利(得票率36.3%)であることを理由に「必然性のない政権誕生」(44ページ)と主張。「国民生活は破壊され暗黒社会の様相」「自由と諸権利が不法に侵され」(前掲書56ページ)たと厳しく批判した。

その上で、「議会制民主主義を至上のものとするわれわれが、軍事クーデターそのものを容認することはできない」と前置きしつつ、「軍の行動を必然化させたアジェンデ政権の無法なやり方そのものに根本の問題がある」(前掲書71ページ)と主張した。

ピノチェトの「経済の状態が回復されたとき、そこに新憲法を制定し、新しい議会を創設し文民政治に服する」との発言を引き、「それには最低二、三年の年月を要することであろう。(中略)いま左翼の間では、クーデターの責任を米国に転嫁しようとしたり、またクーデターによる殺傷、抑圧を強調することによってアジェンデ政権の姿勢を合理化しようとする試みが盛んに行われている。しかしそのようなことは、チリの大多数の国民の受け入れないところであろう。/ 私は自分の耳と目で、そのことを実際にチリで確かめてきた。」(前掲書72~73ページ)と結論づけている(チリの「新憲法」制定は1980年で、ピノチェトの独裁は1990年まで続いた)。

しかし、ピノチェト政権下のチリでは非共産勢力(キリスト教民主党など)も少なからぬ弾圧を受けていることから、大内の件の発言はまったくの虚偽である。

アジェンデを非難し、ピノチェトクーデターを支持したのは、選挙協力や連立政権構想から日本共産党を排除する目的もあった。大内は、「マルクス・レーニン主義勢力は、チリの場合のみならず、その独裁政権を確立する過程でつねに連立政権を求めてきた」(前掲書76ページ)と定義づけ、日本共産党も他の共産主義政党のように独裁政権を狙うと非難した。日本共産党排除の大義名分とするためには、アジェンデ政権を「独裁政権」として全否定する必要があったのである。

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