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2013年6月27日木曜日

〔歴史メモ〕筋金入りの右翼は「民営化」に懐疑的だった

赤尾敏bot
https://twitter.com/Bin_Akao_bot/status/350161629389926400
美辞麗句を並べ立てている行政改革。官営のものを民営化すれば、財界の利権になる。民営化して自民党の幹部が大株主になるか、仲間の資本家に安く払い下げる。それで巨額の政治献金を受けるのだ。仮に赤字を出したとしても、政府援助金を出すという形で利権を得る。
(1983年)




☆開拓使官有物払下げ事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E6%8B%93%E4%BD%BF%E5%AE%98%E6%9C%89%E7%89%A9%E6%89%95%E4%B8%8B%E3%81%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6

十年計画の満期が近くなった1881年(明治14年)に開拓使の廃止方針が固まった。黒田は開拓使の事業を継承させるために、部下の官吏を退職させて企業を起こし、官有の施設・設備を安値で払い下げることにした。

黒田は、事業には私利で動かない官吏出身者をあてるべきだと主張し、また事業が赤字であったことを理由に、非常な安値を付けた。払下げの対象は船舶、倉庫、農園、炭鉱、ビール・砂糖工場などで、およそ1400万円の費用を投じたものを39万円(無利息30年賦)で払下げるというものであった。開拓使大書記官であった安田定則らの作った北海社が工場経営などの事業に当たるが、資本がないため関西貿易商会(黒田と同郷の薩摩出身者五代友厚らが経営)が払下げを引受けることになった。

政府内でも批判の声が起こり、特に払下げの規則を作った前大蔵卿の大隈が反対した。7月に払下げ計画が新聞にすっぱ抜かれると、大隈が秘密を漏らしたのだろうと疑われた。これ以前に三菱の岩崎弥太郎が開拓使の船舶の払下げを願い出て却下された経緯があった。このため世間では、三菱と大隈が結びついて、薩摩に対抗していると見られた。更に大隈が登用した大蔵官僚の間にも払い下げ中止を求める意見が出された事から、払い下げ中止を目的として大隈が仕掛けたという説が広まった。

黒田は強引に天皇の裁許を得て払下げを決定した。批判の声は益々高まり、御用新聞の東京日日新聞までが政府批判を行ったほか、各地で弾劾の演説会が催された。