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2013年6月26日水曜日

〔歴史メモ〕筋金入りの右翼は東京大空襲の前に「東京からの疎開」を呼びかけていた

赤尾敏bot
https://twitter.com/Bin_Akao_bot/status/349799251309637633
戦火が激しくなった昭和19年。赤尾敏は『東京は紙と木の家ばかりなので危ない、早く疎開するように』といった内容のポスターを作り、都内のあちこちに貼って歩いた。たちまちこの一件で警視庁から呼び出しを受け、「そんなポスターを貼ると人心が動揺する、東京の美観を損ねる」と注意された。




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☆東京大空襲

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

東京大空襲(とうきょう だいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた大規模爆撃の総称。

東京は、1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲を指すことが多い。都市部が標的となったため、民間人に大きな被害を与えた。