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2013年1月29日火曜日

【プロパガンダ戦】マリ政府軍の再占領に“歓喜する”ガオ市民の映像


Mali, festa a Gao liberata dagli islamisti
http://youtu.be/Ps-TFNY_m7M?t=19s


Mali : la ville de Gao libérée - 28/01
http://youtu.be/mnLzWSWm79U?t=13s



☆マリ政府軍ら 武装勢力拠点を事実上制圧 (日本テレビ)

http://www.news24.jp/articles/2013/01/29/10222115.html

フランス国防省によると、断続的に空爆を行っていたマリの政府軍などは27日、武装勢力の拠点となっていた北部の主要都市・ガオを制圧、28日未明には、トンブクトゥの空港
http://en.wikipedia.org/wiki/Timbuktu_Airport
を奪還したという。



☆French-led military 'take Timbuktu airport'
(英国BBC)

http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-21229704

French-led forces in Mali have seized the airport in Timbuktu without firing a single shot, as they move to capture the historic city from militant Islamists, officials say.



☆ガオ(都市)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%AA_(%E9%83%BD%E5%B8%82)

ガオ(Gao)はマリ共和国の都市であり同国ガオ州の州都である、ニジェール川沿いに位置する。人口は2005年時点で57,978人。

(略)

ガオは国際空港を一つ持ち、またトンブクトゥなどのニジェール川沿いの都市は雨季にはフェリーにて移動可能である。数世紀の間交通及び貿易のハブであったガオだが、観光業、特にニジェール川のクルーズは地元経済の重要な一部になっている。また、首都バマコとの間に舗装道路が通じており、これによりガオはマリ東部の交通の要衝となった。



《おまけ》

☆ヒル・アンド・ノウルトン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3

湾岸戦争での戦争プロパガンダ事件

メディアと民主主義センター (Center for Media and Democracy) によれば、1990年H&K社は、米国内で「アメリカ世論操作を狙った、外国資本によるかつてない最大のキャンペーン」を行い、他の20以上の米国の広報会社を率いた。 H&K社は、クウェート政府がほぼ全面的に資金提供した偽装草の根市民運動 (Astroturf) 団体自由クウェートのための市民運動 (Citizens for a Free Kuwait) が払う1,080万ドルで受注した。

1990年10月10日のアメリカ下院の下院人権議員集会 (Congressional Human Rights Caucus) で行われたナイラ看護師の証言が問題になった。「命からがらクウェートから逃げてきた」と言うナイラは、H&K社の副社長ローリー・フィッツペガドから直接演技指導を受け、ボランティアをしていたクウェート市のアル=アダン病院に、イラク兵が乗り込み保育器から取り出された多くの幼児が虐殺されたという嘘の証言を涙ながらに行った。このエピソードはサダム・フセインを非難するときに毎回のように引用され、ブッシュ大統領も「赤ん坊殺し」と言う表現を好んで使用するほど影響を与えた。湾岸戦争終結後、世界中のマスメディアがこの証言の真偽を確認するため取材したが、虐殺の証言が集まらない上に、100以上もあるはずの保育器そのものがクウェート全土に数えるほどしかなかった。現実には、ナイラは当時のクウェート駐米大使サウド・ナシール・アル・サバ (Saud bin Nasir Al-Sabah) の娘だった。

その後クウェート政府が危機管理会社クロール社 (Kroll Inc.) に委託した調査で、保育器が略奪され幼児が死亡したのは少なくとも7人と結論づけたが、何人が死んだか記録もないし現場のコンセンサスもないとした。調査によるインタビューで、ナイラは、議会での証言はH&K社が手伝って用意したものだと述べ、事件で赤ん坊が保育器の外にいるのを「ほんの一瞬」見ただけだったことを証言した。またナイラは、その病院でボランティアをしたことがなく、かつて数分間居たことがあるだけだったことも証言した。ワシントン・マンスリー (Washington Monthly) でTed Rowseは、被害者が159人と言う数字も、議会証言でH&K社から事前配布された資料には書かれていて、ナイラの口頭証言で数字が一切出てこなかったことから、H&K社が作ったものだと断定している。



☆ナイラ証言

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%A9%E8%A8%BC%E8%A8%80

ナイラ証言(ナイラしょうげん、Nayirah testimony)とは、「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日に非政府組織トム・ラントス人権委員会(英語版)にて行った証言。イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院から、保育器に入った新生児を取り出し放置、死に至らしめた経緯を涙ながらに語った事で知られる。当時のマスコミはクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ、広く喧伝された。アメリカ合衆国上院議員や大統領も幾度となく引用しており、湾岸戦争の布石を敷くこととなる。

当初はアムネスティ・インターナショナルや避難民からの証言により、裏付けの取れたものであった。しかし、クウェート解放以後、マスコミが同国内に入り取材が許された結果、新生児の件は虚偽であった事が発覚。また、1992年に「ナイラ」なる女性は苗字がアル=サバーであり、何と当時クウェート駐米大使であったサウード・ナシール・アル=サバーの娘との事実が暴露された。その上、証言自体がクウェート政府の意を受けた、ヒル・アンド・ノウルトンによる自由クウェートのための市民運動広報キャンペーンの一環であったのも明らかとなる。爾来、単なる戦時プロパガンダとして広く認知された。

(略)

自由クウェートのための市民運動は、クウェート大使館が設立、タイムズニュース社が執筆を行う、ワシントンD.C.に本部を置く、草の根市民運動を偽装して宣伝活動を行う(アストロターフィング)広報委員会であった。同委員会は大使館舎の一角を占めたものの、大使館からは独立して業務を行った。

ヒル・アンド・ノウルトンは1990年、ニューヨークでクウェートからの亡命者と接触した後、自由クウェートのための市民運動に参画。国家的キャンペーンの目的は、イラクの独裁者たるサダム・フセインによるクウェート侵攻について、アメリカ国内で世論を喚起することにあった。100万ドルを費やし、強硬な手段に向けた支持を勝ち取る最善策を決める研究に着手。研究によると、暴虐とりわけ保育器の話が最も影響がある事が分かった。なお、広報キャンペーンには、クウェートから1200万ドルの資金提供を受けたとされる

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