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2012年9月16日日曜日

〔殴り書き〕佐分利貞男・駐支那公使の怪死事件


赴任前に体調を崩して入院していた西宮駐中国大使が、都内の病院で死去したと政府関係者。
2012/09/16 11:36  【共同通信】



624 名前:地震雷火事名無し(バーレーン)[sage]
投稿日:2012/09/16(日) 18:18:39.26 ID:U8D/B+390 [3/3]
中国大使のはっきりした死因はまだ発表されてないね。
倒れたのは三日前だから、「急死」というには時間が経っている。
金融大臣も"自殺"も何か腑に落ちない部分がある。



☆佐分利貞男

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%88%86%E5%88%A9%E8%B2%9E%E7%94%B7

1929年(昭和4年)8月、浜口雄幸内閣の外相幣原喜重郎に乞われて、駐支那公使に就任。張作霖爆殺事件後に悪化した対支外交の打開を期待されていたが、一時帰国中の同年11月29日、箱根宮ノ下の富士屋ホテルにおいて変死体で発見され、自殺とされた。

1929年(昭和4年)11月29日の朝、佐分利は前日から宿泊していた常宿の箱根宮ノ下富士屋ホテルにおいて死体で発見された。死因はピストルで頭部を打ち抜いたことで、即死状態だった。警察当局は、佐分利が右手にピストルを握っており、外部からの侵入者の形跡もないため、自殺と断定した。

(略)

死体は右手にピストルを握っていたが、佐分利は左利きであった。遺書もなかった。また、佐分利は日頃から護身用に小型のピストルを所持していたが、使用された拳銃は銃身六インチもある出所不明の三十八口径大型コルト八連発拳銃であり、ホルスターも見つからなかった。また、身綺麗な外交官に相応しくない寝間着姿での自殺は不自然であり、翌日の行動予定もあった。