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2012年9月28日金曜日

〔衆院選〕日本維新が「公職選挙法の死角」を突く大胆な選挙戦術


☆維新に衆院選指南…国会議員団が32の提言 (読売新聞)

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120928-OYO1T00874.htm

http://archive.is/Jt2y

維新は、選挙資金を候補者が用意する「自前選挙」を基本にするが、資金カンパや企業からの人員派遣の必要性にも言及。



★企業・団体からは、選挙運動であると否とを問わず、候補者の政治活動に対して、金銭・物品・事務所・自動車の無償提供、さらには労務の無償提供など一切の寄附はできないのだが、弁護士でもある橋下徹代表は「法の死角」を発見したものと思われる。




《おまけ》

☆江川事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

空白の一日

11月20日、江川はアメリカ留学を突如切り上げて緊急帰国。その翌日の11月21日午前に、巨人は江川と入団契約を締結。巨人側は「ドラフト会議の前日は自由の身分で、ドラフト外の選手として入団契約可能」と解釈し、ドラフト外入団という形で契約締結を決行する形となった。

当時の野球協約では、ドラフト会議で交渉権を得た球団がその選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日までとされていた。この規定は前日まで交渉を続けた場合には、その交渉地が遠隔地だった場合に、気象の急変などによって球団関係者がドラフト会議に出席できず、ドラフト会議に支障をきたす恐れがあるため、ドラフト会議の準備期間(閉鎖日)として設けたものだった。また、当時のドラフト対象学生は「日本の中学・高校・大学に在学している者」であり、当時の江川は社会人野球にも行かなかったため、野球協約の文言上では「ドラフト対象外」だった。日本野球機構はドラフト対象の範囲を広げるために、1978年7月31日の改正によってドラフト対象選手を「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」へ改正した。しかし、この新協約は「次回ドラフト会議当日から発効する」ことになっていた。

以上のことから、ドラフト会議の前日の11月21日には西武の交渉権が消滅しており、「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」をドラフト対象とするのはドラフト会議が行われる11月22日以後であると巨人は解釈し、11月21日時点でドラフト対象外選手である江川と自由に契約できると主張して入団契約を行った。

ドラフト対象選手を在学生野球選手と社会人野球選手に限定すると解釈できる文言になっていたことは野球協約の抜け穴であり、巨人は野球協約の盲点を突いたことになるが、これを認めればドラフトは骨抜きになるため、セントラル・リーグ会長の鈴木龍二は巨人との契約を無効とする裁定を下した。

これに対し巨人が反発。その抗議として、翌22日のドラフト会議を欠席(ボイコット)することになる(なお、巨人はドラフト会議が終了した後でドラフト外入団という手法で新人選手を10人獲得している。新人選手の一人には鹿取義隆がいる)。