中国山東省で行われた反日デモ参加者の一部が暴徒化、日本料理店を襲撃、入り口ガラスが割られた。
2012/08/25 13:37 【共同通信】
《おまけ》
☆第一次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89
上海日本人僧侶襲撃事件について、上海公使館付陸軍武官補佐官だった田中隆吉少佐は、自らが計画した謀略であったと証言している。田中少佐によると、柳条湖事件の首謀者板垣征四郎大佐と関東軍高級参謀花谷正少佐らの依頼によって、世界の目を他にそらすために計画し、実行者は憲兵大尉の重藤憲史と「東洋のマタ・ハリ」川島芳子であったという。
田中の愛人であった川島芳子は中国人の殺し屋を雇い、1932年1月18日の夜、上海の馬玉山路を団扇太鼓をならしながら勤行していた日蓮宗僧侶を襲わせた(上海日本人僧侶襲撃事件)。この事件が、日ごろから中国人に反感を抱いていた上海の日本人居留民の怒りを爆発させ、青年団が中国人街に殴り込みをかけ、各所で暴力事件が続発したため、上海の工部局は戒厳令を敷いた。治安悪化で日本人が不安に駆られる中、田中隆吉の工作による発砲事件が引き金で、日華両軍の軍事衝突が起きたとする。