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2012年6月1日金曜日

「中国書記官はスパイではない」との説が浮上中


ジャーナリスト 田中稔
https://twitter.com/minorucchu/status/208194172241461249
一連の読売による「書記官スパイ」報道に疑問の声しきり。外務官僚某氏によれば、桜田門のリークにはR書記官の経歴に関する重大なミスがあるという。「彼はスパイではない」と断言。オイオイ、どういうことなんだ。




《備考》

☆外交官がスパ活動との報道を在日中国大使館が否定
(人民日報)

http://j.people.com.cn/94474/7831021.html

だが毎日新聞によると、「顧問料」を支払った疑いのある東京都内の健康食品販売会社は、外交官の妻が同社の香港支社で数カ月間アルバイトしたことがあり、口座に振り込んだ数十万円はその報酬で「全く問題ない」としている。

日本JCC新日本研究所の庚欣副所長は29日、環球時報の取材に「外交官による銀行口座開設は、実は非常に些細なこと。各国の外交官には兵役経験のある者が多くいるが、まさかみな『軍の経歴があるスパイ』ではあるまい。今年は中日国交正常化40周年だが、すでに摩擦が相次いでいる。日本政府は証拠のない状況でこの件を公の問題にし、メディアもこれを焚き付けている。これでは中日間の面倒を増やすだけだ」と述べた。




《おまけ》

☆上海日本人僧侶襲撃事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%83%A7%E4%BE%B6%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

1931年9月に満州事変が勃発し、関東軍が満州国を樹立した。これにより中国人の対日感情が悪化し、特に中華民国上海では反日運動が高まっていった。

1932年1月18日午後4時ころ馬玉山路を団扇太鼓をならし南無妙法蓮華経を唱えながら勤行していたいずれも日本人の日蓮宗僧侶2名と信者3名が、抗日運動の活動根拠地と見なされていた三友實業公司のタオル製造工場前の路地で、突如中国人と見られる数十人の集団に襲撃された。その結果、僧侶の水上秀雄が死亡し、天崎天山ら2名が重傷を負った。犯人は中華民国側の警察官の到着が遅れたため逃亡した。日本政府は現地の「抗日会」による犯行であるとして、総領事を通じて抗議し反日組織の解散と反日報道機関の閉鎖を要求したが、上海の工部局(市政府)は応じなかった。

この事件により、日ごろから中国人に反感を抱いていた上海の日本人居留民の怒りを爆発させ、青年同志会員が中国人街に殴り込みをかけ、1月20日には事件の現場になった「反日」の三友實業公司に30人が乱入し工場を放火、中国人と乱闘になり中国人2人を斬殺する一方で日本人1人も射殺され多数が負傷するなど、各所で暴力事件が続発したため、上海の工部局は戒厳令を敷いた。1月20日に上海の日本人居留民は、中華民国の排日運動殲滅すべしとの決議を行った。そして1月28日に居留民保護のために派遣された日本軍と中華民国国府軍とが軍事衝突する上海事変が勃発した。

上海事変以降、日華両国の紛争は限りなく続く事になり、この泥沼になった日華事変(日中戦争)を打開する為にさらに太平洋戦争(大東亜戦争)を引き起こすなど、1945年に敗北するまで日本の戦争は果てることはなかった。

この上海事変の引き金となった日本人僧侶襲撃事件であるが、現在では関東軍による策謀であるとの説が有力である。これは当時、上海公使館付陸軍武官補佐官だった田中隆吉少佐(後に少将)が東京裁判(極東国際軍事裁判)において、自ら計画した謀略であったと証言しているためである。

田中によると、満州事変のきっかけとなった柳条湖事件の首謀者であった板垣征四郎大佐と関東軍高級参謀花谷正少佐から「満州独立に対する列国の目をそらすため、上海でことをおこせ」と工作資金2万円で依頼され、抗日運動の根拠地であった三友實業公司を買収し謀略を準備していた。

この謀略の実行者は憲兵大尉の重藤憲史と「東洋のマタ・ハリ」こと川島芳子であったという。なお川島は田中の愛人であった。田中から1万円の工作資金を渡された。川島は、命令どおり中国人を雇い日本人僧侶を襲撃させたとされている。ただし日本人僧侶を襲撃した中国人は何者であったかは明らかになっていない。




☆田中隆吉

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%9A%86%E5%90%89

第一次上海事変(1932年)・綏遠事件(1936年)において主導的役割を果たし、日本軍の数々の謀略に直接関与しており、また、早くからコミンテルンにつながる人脈だと疑われ、関東軍にいたころからゾルゲと何度も会い、綏遠事件の直前にも、現地でゾルゲや尾崎秀実と会っており、日本軍の闇の部分に通じた人物であった。

(略)

第1次上海事変は1932年(昭和7年)1月に始まる。しかし、上海事変は関東軍の謀略で、その真相は戦後になって田中が自ら公表した。日本人僧侶襲撃以降の脚本を書いたのが田中で、川島が関東軍から渡された軍資金2万円を使って反日中国人を扇動し、日本人僧侶を襲わせた。


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