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2011年12月29日木曜日

〔新党〕小沢一郎は「敵の腹背を衝いて」天下を獲る戦略を採用


内山晃・元総務政務官の発言。


☆民主9人離党 消費増税、党分裂含み (毎日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111229-00000011-mai-pol

http://backupurl.com/8c4jz5

内山氏はもともと石原慎太郎東京都知事を党首とする新党構想に参加する構えだった。しかし、26日深夜、東京都内の衆院議員宿舎で国民新党の下地幹郎幹事長と会い、「小沢元代表から呼ばれた。新党の代表になれと言われた」と伝えた。




☆韓信

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1

体勢を立て直した劉邦は、自らが項羽と対峙している間に韓信の別働軍が諸国を平定するという作戦を採用した。



☆劉邦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E9%82%A6

この時期、劉邦の幕僚に謀略家・陳平が加わっている。その一方、別働隊に韓信を派遣し、魏・趙を攻めさせて項羽を背後から牽制しようとした。また元盗賊の彭越を使い、項羽軍の背後を襲わせた。

(略)

紀元前203年、劉邦は項羽と対陣して堅く守る作戦をとっていたが、一方で項羽の後ろで彭越を活動させ、楚軍の兵站を攻撃させていた。

(略)

その頃、韓信は斉を完全に制圧し、劉邦に対して鎮撫のため仮の斉王になりたいとの使者を送ってきた。



☆西南戦争

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89

官軍南下軍は2月の高瀬の戦い以来目立った成果を収めることができずにいた。そこで高島大佐の建議により、熊本鎮台との連絡をとること、薩軍の鹿児島と熊本間の補給・連絡を遮断すること、薩軍を腹背から挟撃すること等の企図を持った軍が派遣されることになった。黒田清隆中将が参軍となり、この上陸衝背軍を指揮することにした。




☆金蝉脱殻

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9D%89%E8%84%B1%E6%AE%BB

金蝉脱殻(きんせんだっこく)は、兵法三十六計の第二十一計。「金蝉、殻を脱す」と読み下す。

敵軍が太刀打ちできないほど強大で、抵抗するほど損害が拡大するような状態のため、一時撤退して体制を立て直したいとする。この際、何の策もなく撤退すると敵軍の追撃を受ける危険性があるが、金蝉脱殻の計はこのような状態において安全に撤退するための策である。すなわち、蝉が抜け殻を残して飛び去るように、あたかも現在地に留まっているように見せかけておいて主力を撤退させるのである。撤退の場合だけでなく、戦略的な目的で主力を移動させたい場合にもそのまま使える手段である。


劉邦軍が滎陽にて項羽軍に包囲されたとき、将軍の紀信が劉邦に扮し、鎧兜を身につけて兵士に扮した婦女子とともに降伏を装って、その隙に劉邦を逃がした。

宋軍が優勢な金軍の襲撃に持ちこたえられず、陣地を放棄するとき、旗印を残したままにしておき、さらに縄で吊り下げた羊の前足に太鼓を据えて音が立つように仕掛け、まだ陣地を守っているように見せかけておいて撤退した。